クライストチャーチ Tamagawa 旧)玉川キリスト教会
2014.11.09 更新
ピリ辛エッセイ風のもの 3 (食事をするのは笑うため) 2013-02-07
元来、計算することが俄然苦手で、数式で物事を描くことが出来ないのが私の最大の弱点である。困っている。
その男がレストラン経営を始た。「魂が安らぐ店」としてである。志はよいがやはり採算がとれない。こちらの魂が安らがない。
3500円もするコースを召し上がって下さる方がこんなにも沢山おられると、喜んで精算して見ると、サッパリである。
が毎月 計算すると100名様が来られても100×3500=350000で家賃、材料費にも足りない。
それでは200名様が来られればいいのだが、毎日8名単位の来客が必要なのだ。
3500円もするコースを毎日8名以上のお客様が召し上がられるかどうか、チョット厳しい。
「アルコールが売れなければ経営は難しい。」と超有名なレストラン経営者に教えてもらったが、アルコールは持ち込んでもいいことにしている。
「あのオーナー、チョット頭おかしいね。」と苦笑されたり驚かれたりしている。
苦し紛れに「当店が追求するのは利益ではありません。追求するのはお客さまの笑顔です。」とかほざいている。 妻に苦労ばかりかけている。
そんな愚か者の私にも心の支えが三つある。いや、四つ有る。
一つ目はなんと言っても愛する妻の応援である。これは全世界に大声で叫びたい。「あ り が と う!!!」
二つ目は当店の売り上げグラフの横棒は地平線に見えるが、わずかに右肩上がりなのだ。
三つ目はイザヤ書から三年目から実が生る。レビ記から四年目は収穫するが、神に捧げ、五年目にその実を食べる。との言葉を掴み、自分への言葉と信じ込んだからだ。
四つ目は牧師として伝道目的でシェフをしている。
教会に鎮座まして人を待っているのとは桁違いの数の人々と出会い、話が出来る。たとえば3500円のコースでないとしても毎日入れ替わり立ち替わりお客様が来られる。
最近では愉快なシェフのいる店とのネットの評判を聞きつけたお客様がいらっしゃる。1日に10人として営業日25日×で250人。一年で3000人となるが必ずしも、同じ人ではないので、その数倍の延べ人数に出会えるのである。その一人一人に何らかの形で福音を伝えられるのである。
「餌づけ伝道」である。「神様!この愚かな人間の崇高な志しを支えて下さい!!」毎日お願いしている。絶賛を受ける味の良さ、叫び声を上げられる品数と迫力の料理、不思議がられる安さ;楽しませようとする心遣い満点で少しうるさいが楽しい。これ以上ドナイセイと言うのか?主よ!何卒よろしくお願いいたします。
「神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすればこれに加えて、これらのものは全て与えられます。
だから明日のための心配は無用です。明日のことは、明日が心配します。」 マタイ6章33節34節
ピリ辛エッセイ風のもの 2 (食事をするのは笑うため) 2013-01-17
「うまい!!」と声がすればありがたくもあり、光栄でもある。お客様が無言で食べておられたら必ず声をかける。「お口に合いますか?」と。芳しくないご返事だと調整し直せるし、ご満足をいた
だける。「うまい!!」だとこっちの安心になるし、今自分は旨いものを食べているとの自覚を促せるのだ。
その味に感激して「この店潰れんように応援するわ。無くなったらかなんもん。」とうれしいことを言って下さる事がしばしばである。お世辞ではなく本心からだ。行列の出来る店になる日も近いい。と期待する。
世の中厳しい。甘くない。一向にそんな日は来ない。年末、とある一部上場企業のお偉いさんが「この店を応援するぞおー。」と大声で呼びかけ、部下のみなさんも「ヨッッシャ!セデュールを応援するぞ!オー!」と奇声を上げられてから早二年。静かな店のままである。
その場でいくら賞賛を得ても、所詮レストランである。彼らの激労の日々の中で、片隅に追いやられるのが落ちなのかもしれない。
しかし、待てよ。自分の心の中にも行きはしないが、いい店だった。また行きたい。と言う店は数多く有るではないか。雰囲気が良かったり、美味しかったり、親切だったり、いい思い出である店
がである。その店の一つにわたしの店が人々のよい思い出の中にいるのではないか。まずかった。雰囲気悪かった。不親切だった。と永く思われつづけられるより、よほどいい。
口コミとはそう言うものだ。たくさんの人々の心のすてきな部分に居座りよい思いを提供しつづける。名もない調理人の冥利につきる。聖書も励ます。
「ヤモリは手でつかめるが王の宮殿にいる。」箴言30の28
ピリ辛エッセイ風のもの 1 (食事をするのは笑うため) 2013-01-12
箴言10:19
老若を問わず店前で立ち止まったカップルに案内するとき、悟ったことがある。
それは男性の方に顔を向け、目を見てニコニコ話するのである。
すると、その人がお腹いっぱいでないかぎり、ほとんど店に入って下さる。
不思議なもので その彼が三〇年来の友でもあるかのごとく、店前で出会いを喜ぶと、「 客引き 」の緊張感は無くなる。
こちらもこちらで、めったにお客が来ない店なので、宇宙人にでも遭遇したかのように喜ぶのである。
男はたいてい、初対面で構える。しかし内面は女性よりナイーブでかわいいものだ。
旨い物を出すと笑顔が弾ける。 寒い駄洒落の応酬にもなる。
食事は笑いながらするもの! 神が人間に与えた喜びである。
お茶碗に涙を落としながら食うごはんには味がない。
そのはじめの構えをものともせずに、出会いの喜びをぶつけると、男の客は答えて下さるのだ。
女性の方ばかり見ると男は守ろうとする。少し緊張感が走るのである。
微笑む彼を見て、「あなたが良いなら」と女性、その彼女を見て、「 君が良いなら 」となる。
「お二人さま,御新規さま、ご案内!」